http://blog.goo.ne.jp/nazox2016/c/0cd03395cc8bf42f309a25e0d89fcb29

 

都立大学駅前のビリヤード場「アサヒ」とピン・ビンゴ

2016年04月24日 14時08分11秒 | ロケーション

70年代中ごろから後半にかけて、ワタシは高校生でした。このくらいの年齢の男子となると、そろそろビリヤードという大人のゲームにも興味を惹くようになるもので、ワタシもさほど頻繁というわけでもないものの、東横線都立大学駅前の「アサヒ」というビリヤード場(当時は「プールバー」なんてしゃらくさいものはなかった)に出入りするようになりました。

「アサヒ」は、片目が不自由な婆さまがほぼ一人で切り盛りしており、ワタシはその婆さまに、ブリッジの作り方やビリヤードの基本を教わりました。この婆さまは、見かけはどこにでもいそうな小さな老女ですが、常連を相手に玉を突くその姿は、今で言えばジブリアニメに登場する女海賊に通じるカッコ良さがあり、心の中では尊敬の意を込めて「メッカチ婆さん」と呼んでいました。

「アサヒ」の店内の隅には、2台の「ピン・ビンゴ」機が設置されていました。「ピン・ビンゴ」とは、1951年ころからアメリカで作られ始めたピンボールゲームの一種で、単に「ビンゴ」と呼ばれることも多いですが、パーティーなどでおなじみのビンゴと区別する意味で「ピン・ビンゴ(ピンボールのビンゴ、の意)」と呼ぶこともあり、拙ブログではこの呼称を用います。

ピン・ビンゴは、ゲームの結果によって払い出しが行われるゲームのため、アメリカではスロットマシンと同様のギャンブル機とみなされ、禁止されるケースも多々あったそうです。日本でも、ゲーム業界にメダルゲームと言うジャンルが確立する1972年以前から、既にアンダーグラウンドを含むゲーム市場に出回っていたようです。

ピン・ビンゴの外見はフリッパー・ピンボール機によく似ていますが、バックグラスには数字の部分がランプで点灯するビンゴカードが描かれており、そしてプレイフィールドには1から25までの数字が振られた25個の穴(注1)が開いています。ゲームは、このプレイフィールドに、最終的に5個のボールを打ち出し(注2)て、ボールが入った穴の番号が、ビンゴカード上で、縦、横、斜めのいずれかに3個以上並べば勝ち、というゲームです(注3)。

注1:ピン・ビンゴは、25穴タイプのほか、カラーセクションタイプの20穴タイプがポピュラーだったが、24穴タイプなどという変則的な機種もごく少数あった。

注2: 「エキストラボール」というフィーチャーにより、場合によっては6球以上のボールを打ち出すケースもある。

注3:勝利条件にもいくらかのバリエーションがあり、色分けされたビンゴカードの同色エリア内に3個以上入れば勝ち、というものもある。

ゲーム自体はメダル1枚(または硬貨=以下同じ)からでも遊べますが、メダルが投入されるたびにゲーム機内部で抽選が行われて、勝った時に受け取れるスコアが増えたり増えなかったり、あるいは勝ち易くなる特殊ルール(ピン・ビンゴでは「フィーチャー=feature」と言う)が発動したりしなかったりするものですから、より高いスコア、より勝ち易いフィーチャーを目指して、財力のある人なら、1回のゲームで何十枚、場合によっては百枚以上ものメダルを投入することもあるゲームだったので、うっかりすると相当の金額を費やしてしまうゲームでした。


1980年代以降に日本のシグマ社が開発したピン・ビンゴ。シグマはピン・ビンゴの面白さを最も良く理解するオペレーターで、早い段階から自社ロケにピン・ビンゴを積極的に導入するだけでなく、ピン・ビンゴ専門のゲーム場も運営していた。しかし、心臓部がメカとリレースイッチの塊である米国製のマシンはメンテナンスが大変だったため、これをIC化した「ICビンゴ」を自社で開発するに至った。


ピン・ビンゴのプレイフィールド。番号が振られた穴が25個と、最下段に、打ち直しとなるボールリターン穴が1個、開いている。



ピン・ビンゴのバックグラス。中央にビンゴカード、その周囲に各種フィーチャー類、下半分に獲得できるスコアの表示がある。コインを投入するごとに機械内部で抽選が行われ、ランプが点灯したフィーチャーやスコアが、そのゲームで有効になる。

「アサヒ」では、10円硬貨を投入し、勝った際のスコアはクレジットメーターに加算され再ゲームに使えるという運営がなされていました。ただし、メーターのクレジットはビリヤードのサービス券に換えるという貼り紙があり、小規模ながらもギャンブル機として使用されていたようです。しかしワタシは、ビリヤード券にするより、ピン・ビンゴで遊んでいた方が良かったということもありますが、そもそもそんなに多くのクレジットを勝ち取ることが出来なかったので、換えようもありませんでした。ピン・ビンゴは、ワタシがおそらく最も熱中したゲーム機の一つと言って良いと思います。ワタシは次第に、「アサヒ」に出入する主たる理由が、ビリヤードよりもピン・ビンゴの方に移って行きました。あるとき、入店するなり200円だったか300円だったかを10円硬貨に両替するようの頼んだら、メッカチ婆さんは、学生服姿のワタシに硬貨を手渡ししながら、「あんまり夢中にならないでね」と注意してくれたりもしました。

「アサヒ」に設置されていた2台のピン・ビンゴのうち、ワタシがよくプレイしたのは、バーリー社の「BIG SHOW」(1956)という機種でした。もう片方は、BIG SHOWよりも勝ち易く面白そうに見えたのですが、常連と思しき先客がいることが多く、たまに空いていても、いくら硬貨を投入してもスコアは上がらずフィーチャーも発動せずで全く面白いゲームができなかったのでやり込むに至らず、機種名が思い出せません。ただ、フィーチャーの一つである「マジックナンバー」のパターンが、他の機種ではあまり見たことのない、変則的な形だったことだけ
覚えています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Created on 12-12-2016